ありがたい事に再びここへペンを執る機会をいただいた。いや、ペンを執る、と言ったって、実際に頭の中を文字に書き起こしてくれるのは7年物のMac Book Air 13インチで、いまやすっかりキーのタッチが鈍くなり不都合も多くなってしまっている代物だ。けれど、エイヤッと増税駆け込みで手に入れたPCはまだ数回開いたっきりで、愛着、なんていう耳障りの良いものだけじゃなく結局のところ新しい物へのトライが億劫なんだな、と自問自答で苦笑いになる。
私が初めてバイクをみる為に海外へ行ったのは2012年のマン島TTレースだった。初めてのヨーロッパ、初めての海外取材、英語力はほぼ皆無。そんな戸惑いが無いとは言えない状況にチャレンジをするきっかけ、知りたいと思ったものを自分の目でみるチャンスをくれたのが、いま私が講師を務めるMCワークショップにも名前を借りている、走って喋れるモトジャーナリスト・松下ヨシナリさんだった。そう、私の喋りの師匠である。
彼はそれまでにもTTレースに出場していて、更にはクラッシュでの大怪我も経験していた。幸いに日本でのバイクの仕事にはしばらくで復帰、そういえばまだ包帯を巻いた足の松下さんの車椅子を押したこともあったな。
そんな頼れる兄貴が怪我の治った身体で、また、その場所へ行くと言った。はっきりいって理解できなかった。けれどその飲み込めない感情が、どうして彼がそこまでそれを望むのかを知りたがるようになった。「松下さんがTTレースに参加することには反対だけど、私も行ってみたい」。普通、これからレースに挑もうとするライダーにこんなことを言うやつは怒られても当然だったと思う。でも松下さんは『いいよ、来ればいいじゃん』と二つ返事で私をその年のチーム員に加えてくれたのだ。
そうして私は約2週間のレースウィークに合わせ先に現地入りしたメンバーたちに遅れ、決勝ウィークの1週間を過ごすべく羽田からヒースロー、そして陸路でガドウィックへ移動し小型のプロペラ機でマン島に降り立った。日本から約18時間。『来ちゃったね〜』いつも通りの軽い声で言った松下さんの言葉が、本当に嬉しかった。(ちなみに航空券代などは自腹であることはしっかりと付け加えたい)。
こうやって回想し記事を書く機会はなかなか無かったので今とても懐かしい気持ちになっている。この仕事を始めて気付ば15年ほど経つだろうか、私にとってバイクはもう生活の一部で乗る・乗らないのものではなくて。それでも乗ることやバイクに触れて積み重なった記憶は他のものよりも重量感のある思い出になっているようだ。
そして初めてのマン島での海外取材をきっかけにその後ほぼ毎年サハリンやコロラド、ミラノ、セパン、台北(前号コラム参照)と海外でバイクに触れる機会を意識してもつようになった。日本のオートバイがどれだけ海外で愛されていることか!バイクがどれだけ文化に馴染んでいることか!! もちろんそれは国や人によって様々だろうけれど、私にとってそれは自分がライダーであることが心地良く、誇らしい時間だった。その気持ちを失いたくなくて、思い出したくて、きっとまたわたしは飛行機に乗ってバイクにあいに行くんだろうと思う。
とここまで書いてそろそろ時間切れ、ならぬ文字数切れのお時間で。まだ書ききれていない事もあるけれどまあ全部を書くのも野暮かな。今日は妙に調子のいいPCが、もっと俺の事書いてよ〜、なんて言っている気もするけれど、ねえ。7年前のあのときマン島へ行っていなかったら、宿舎の一軒家のリビングで11インチのMacを借りていなかったら、いまこの言葉はきっとうまれていない。『40歳はもう折り返しだと思うんだよ。だからやりたいことをやる』って、聞かされた時には遠い未来だと思っていた時間が、私にも近づいている。若い人達にはバイクでなくてもいい、旅をたくさんして欲しいね。
PROFILE
多聞 恵美/ 1984年うまれ。バイク媒体を中心にモデル・ライター・ライダー=モデライダーとして活動中。愛車はMV AGUSTA BRUTARE800、Lambretta V200 special、Honda XLR200。2018年よりバイク系MCに特化したワークショップ「松下塾」講師も務める。DAINESEアンバサダー。
Twitter @tamonmegumi
Booyah Vol.5より