目が覚めたら事故から4日経っていて、脚が動きませんでした。医師には、切るか、ほぼ望みはないけれど保存療法で様子を見るか、どちらかだと言われたときに「もうベストの位置で切ってくれ」とお願いしました。脚が動かないという現実を早く何かに変えたかったんです。切って義足にすれば元の生活に戻れる、という医師の言葉にすがる思いでした。

入院中は面会時間も限られていて、孤独の中、自分を責めることも多くありました。母の反対を押し切ってバイクに乗っていたのもあり、母が責任を感じて自己嫌悪に陥っていることを知って、自分は親不孝者だと。事故で死んでしまえばよかったと考える日もありました。でも、一般病棟に移って面会に来てくれた僕の幼なじみが、僕が事故をした何日後かに事故で同級生を亡くしていたんです。「俺は事故で友達をひとり失った。お前が生きていてくれてよかった」という彼のことばが、僕を前に向かせてくれました。

義足で生活するための知識や工夫を教えてもらおうと、母の勧めで義足の人たちのランニングチームに参加したんです。そこでは子どもからお年寄りまで、元気に明るく笑顔で走っていたんですよ。これからの生活に不安を感じていた僕には、それがとても羨ましく思えたんです。

自分も走ってみると、心のもやもやが一気に吹き飛ぶような感覚があった。それに、走っているだけなのに母も友達も喜んでくれた。走っただけでこんなにも喜んでくれるんだから、もしこれでパラリンピックに出場できたらもっと喜んでくれるんだろうなって。事故で悲しませてしまったみんなの笑顔を取り戻したい、支えてもらった恩返しをしたい。そんなおもいで陸上の世界を夢見るようになりました。

競技用の義足はすごくお金がかかるんです。当時、幼少期からのカートレースも続けていたので、なかなか競技用義足をつくれなくて、挑戦できない時間がしばらく続きました。

スポンサーを募ろうと企画書を作って、モーターレースにも出たい、パラリンピックにも出たい! と売り込みまくっていたころ、ある出逢いをきっかけにレーシングドライバーの脇阪寿一さんを紹介いただきました。それから寿一さんの側について色々と学ばせてもらいながら、義足を手配していただいたり、就職先や、オリンピック選手を指導していたトレーナーの仲田健さんを紹介していただいて、陸上競技を本格的に始めることができました。

僕の中には義足になる前からモータースポーツがあって、義足になってからもモータースポーツの夢を追いかけて、その中で出逢った人にパラリンピックの夢を応援してもらった。モータースポーツが力をくれたり、支えてくれたり導いてくれたり。他のパラアスリートとは違った成り立ちでしょうね。僕にとってモータースポーツはすごく大切なものです。

陸上を始めてから成績はどんどん上がっていきましたが、東京パラリンピックが目前に迫ったころに開催延期が決まった。さらにライバルも現れて、代表選考に落ちて。脚を無くしてからずっと東京パラを目指していましたから、あのときはキツかったです。

でも、出られなかったという経験をしてよかったと今は思います。じつはコロナが流行りだしたころに、寿一さんや仲田トレーナーからこっぴどく怒られていたんです。当時の僕は天狗になっていたんですよね。練習に向き合う姿勢や、競技に対する考え方が甘かった。練習なんてこれくらいでいいでしょ、と。人の意見を聞かず、寿一さんや仲田さんにも口答えをして。

東京パラリンピックに出られなかったことで、はっと気付いて。みんなを喜ばせたくてパラリンピックを目指していたんじゃないか、と。調子に乗ってしまって、自分が有名になりたい、自分が活躍したい、自分がお金を稼ぎたいって、「自分が自分が」になっていたんですよね。そんな自分だったからこそ、東京パラリンピックには出られなかったのだと思います。

自分が走っている姿で誰かを喜ばせたい。そのおもいがタイムに表れて3年ぶりに自己ベストを更新できました。明確になった競技の楽しさ、競技をする理由。それがパリパラリンピックに向けての原動力になっています。悪い自分がいたからこそ、今、前に進めている自分がいるのかな。

井谷 俊介/1995年うまれ。三重県出身。幼いころからプロレーシングドライバーを目指してレースに出場。2016年、20歳のときにバイクの交通事故により右足の膝下を切断、義足となる。母の勧めをきっかけに陸上競技に出会い、2018年、本格的にトレーニングを開始。同年、インドネシアアジアパラ競技大会の100m予選でアジア記録(当時)を樹立して優勝。2019年、世界パラ陸上では100mで日本人初の決勝進出を果たす。2023年10月、杭州アジアパラ競技大会の100mでは銀メダル、200mではアジア新記録となる22秒99を樹立し金メダルに輝いた。
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快適なドライビングとライディングを実現する機能性と
エレガントでスマートなスタイルを融合させた

今は陸上競技に専念するためにバイクやモータースポーツからは離れているが、バイクでの思い出も、モータースポーツで培った経験も今の自分に繋がっているという。そんな井谷選手に今回、履いていただいたのは、シューズインポーターの老舗、野口彦が展開するブランド『threegeneratinos(スリージェネレーションズ)』の新作だ。 モーターカルチャーのイメージを色濃く纏ったレザーブランド『Neuinteresse(ノイ・インテレッセ)』のハイブリッドレザーと滑らかなスエードをコンビネーション。ストラップ付きのミドルカットでスポーティな雰囲気を醸し出しながら、ドレスシューズのエレガントさを併せ持つ。 ペダル操作がしやすいように丸みを持たせたかかとと、薄くて柔らかく、優れたインフォメーション性を持つペダリングソールを採用。シフトガードも付属し、ライディングでのキズを防いでくれる。 ドライビングシューズとライディングシューズのふたつの機能性を持たせながら、『three generatinos』の真骨頂ともいえるドレスシューズのエレガントさと普段履きしやすいカジュアルさを両立したデザイン。クルマもバイクも両方楽しみながら、愛車を降りてからもエレガントに決まる。6輪生活にピッタリなシューズと言えるだろう。

■three generatinos 公式サイト

※このページの情報はBooyah Vol.9発行時のものです(2023年11月)